中原中也『少年時』 山羊の歌より

文学と音楽と月夜鴉

2025/03/05 17:48

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あをぐろい石に夏の日が照りつけ、
庭の地面が、朱色に睡つてゐた。

地平の果に蒸気が立つて、
世の亡ぶ、きざしのやうだつた。

麦田には風が低く打ち、
おぼろで、灰色だつた。
 
びゆく雲の落とす影のやうに、
田のを過ぎる、昔の巨人の姿――

夏の日のひる過ぎ時刻
誰彼の午睡ひるねするとき、
私は野原を走つて行つた……

私は希望を唇に噛みつぶして
私はギロギロする目で諦めてゐた……
ああ、生きてゐた、私は生きてゐた!

✒――・・・・・

ちょっと夏っぽい、爽やかな感じに仕上げましたが……
『噫、生きてゐた、私は生きてゐた!』
というのは、今生きているということを実感しているのか、
それとも過去において生きていたということを言っているのか。

ゆきてかへらぬ、2025年02月21日(金)に公開だったようですね。
僕が住んでいる島には映画館がないので、すぐに観ることはできませんがいつか観たいです。

夏の強い日が照りつける黝い石、朱色に睡る地面
地平の果に蒸気……夏の鮮やかな景色が思い浮かぶようです。
雲の落とす影、田の面をすぎる巨人と、天と地の対比は何を暗示しているのでしょうか。

僕は、中原中也という人は世の、人の、自分の二面性を見つめ続けていたように感じます。そして、それはとても孤独な作業であり、彼が詩人たる所以に思うのです。

誰かの解釋を僕はあまり参考にしません。
僕が感じたままに受け止めたいからです。
もちろん、誰がどのように感じるかは其々のことなので、異なる解釋を否定するつもりもありません。

価値観や倫理観、風俗等、時代を経て変化していくものを現代の感覚でもって批判するのはナンセンスですが、彼の詩には現代の感覚で受け止めることができる受容性があるからこそ読み続けられるのだと思います。

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